【職務の理解 ポイント】介護の”正解”とは?

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介護職に従事しながら、福祉人材養成校の講師をしています。

仕事のなかでよくお受けする質問や相談、悩みごとなどの回答を記事にしています。

介護職初心者や勉強中の方から、「何が正しいのかわからない!」、「ゴールはどこなのか?」、「人によっての回答が違う!」との質問・相談を受ける事があります。

私自身、勉強不足の状態でこの仕事に飛び込んだため、同じように悩んだことがあります。

そんな悩みを解決するために、今回は「職務の理解」をテーマとしました。

「職務の理解」が深まれば、“考えの軸”を得られ、目指すべき方向がみえてきます。

介護の仕事の悩みごととは?

冒頭に書きましたが、改めて以下にまとめます。

●正解がない(回答がいろいろあって混乱する)
  → 支援目標、方向性の考え方
  → 技術展開(介護技術)

●コミュニケーションが苦手
  → 関わり方がわからない
  → 上手になりたいけど、どうすればいいのか分からない

このほかにも質問や相談はいろいろとありますが、今回は”正解がない”という点について「職務の理解」を通して確認します。

”コミュニケーション技術”については別記事で解説していますので、そちらをご覧ください。

【コミュニケーション技術】を理解して上手になる!
介護における「コミュニケーション技術」を解説! 上手になる方法やポイントをまとめて紹介します!

「職務の理解」とは何を理解するのか?

このテーマは様々な考え方があります。
あくまでも「筆者が考える職務の理解」としてご理解ください。

自立支援の考えかた

【 point 】

介護の要・不要と生活の自立は無関係
「自分で動く」「動作ができるようになる」だけが自立ではない

本人の実感が大事
⇒「本人が考える、本人が決める」


●「困る」も機会、「失敗する」も経験

● 主役は本人、支援者は黒子

上記の【 point 】さえ確認していただければ、この項目はOKです。
「まだピンとこない!」という方はつづきを読んで下さい!

しば
しば

「自立」と「自律」の違い、言葉の使い分けについて説明されることがありますが、私はこれについてこだわりがありません。この記事では自立を使用して解説しています。

気になる方は調べてみて下さい。


自立支援の考え方でよくある説明としては、「残存能力の活用」「本人ができることは支援しない」というようなものです。
講義でも介護現場でも、動作について(ADLの向上)の視点で検討されている場面を多く見受けます。

「そう言われても、イメージできない!」という方は、以下の例をご覧ください。

例)「箸の使用は難しく、食事をこぼす量も多いため口へ運ぶ介助をしていた」

対応)「口へ運ぶ介助はせず、スプーンを使用してもらうことで食事の自立を図った」

「箸が難しいならスプーンだ!」ということは、誰でも考えつくことでしょう。
(スプーン使用の否定や不正解だということではありません)

この対応が本当に自立支援となっているのか?情報が少ないため判断できません。

情報収集・分析すべきことはたくさんですが、例えば以下のような点を確認してみると、違う方向性が見えてくるかもしれません。

●以前から食事には箸を使用していたのか?

●スプーンの使用を本人が望んだのか?

●要介護状態となる以前は食事をこぼさず食べていたのか?

●意図的にこぼしていた可能性は?
→「食べたくない」「量が多い」「そういう文化」 

確認する点について上記はあくまでも例ですが、生活歴・生活習慣・意思などを確認することは欠かせません。

支援者ニーズのみでは、その人らしい生活の実現は困難であり、”その人らしい生活の妨げ”をしてしまう可能性もあります。

自身の価値観で評価」

支援者ニーズの押し付け」

その人らしい生活の妨げ」

これについて詳細は、別記事「介護過程・アセスメント」 に記載しています。

解決すべき課題(ニーズ)の捉え方

「食事をこぼす」ということが、課題として捉えるべきことなのか?

「 食事をこぼす= 解決すべき課題 」というような考え方も要注意です。
「本人がそれについてどう感じているのか」という、“本人の実感”が大切です。

「出来なかったことが出来るようになった」としても、利用者ニーズが反映されていなければ自立支援にはなりません。

つい「課題探し・介護すること探しをしてしまう」、「支援者ニーズ押し付け傾向にある」という方は、以下の事例をどうぞ。

例:「ご利用者が木にとまっているセミを捕まえて食べた」

Q)セミを食べることは異食か?食事か?(異食=食べ物ではない物を食べること)

A)本人次第

セミを食べるという文化が存在します。

● 食事をこぼすというマナーや文化、生活習慣も存在するかもしれません。

● 客観的に評価するためには柔軟な考え方が必要です。

「やっぱりむずかしい」と感じる方は、本人の望む生活(利用者ニーズ)を理解する姿勢を意識しましょう。

「それもピンとこない」という方は、“世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな生活”があると受け止めることから始めましょう。

補足記事として 【 介護過程・職務の理解 】 自立支援の考え方 おまけ①を準備しました。気になる方はご覧ください。

【職務の理解 おまけ①】 自立支援「“気が利く”は良い支援者ではない」
介護過程・職務の理解の補足記事です。気が利くヘルパーの問題点について解説します。

公的介護サービスの財源を理解

財源は以下の通りです。

介護保険法「 障害者総合支援法
公費+保険料       公費           
50%+50% 100%
注1:公費=税金
注2:財源=自己負担は含まない

自己負担を含む「介護費用総額」は、以下の通りです。

介護保険法 「 障害者総合支援法 」
自己負担 + 公費 + 保険料
※所得に応じ1~3割の自己負担  
自己負担 + 公費     
10% + 45% + 45%
(負担割合1割の場合)
10% + 90%

例)1000円分の介護サービスを提供した場合の内訳

介護保険法         
負担割合1割の場合 
「 障害者総合支援法 」        
自己負担:100円
公費:450円 
保険料:450円
自己負担:100円
公費:900円


介護保険の場合は「保険料」も含まれますが、公的介護サービスの大部分に「公費=税金」が使われていることがわかります。
介護職の給与に税金が含まれるという事でもあります。

「職務を理解せずに従事する」=「税金(や保険料)の無駄遣いをしている」
ということであると理解する必要があります。

介護サービスにおける税金(+保険料)無駄遣いの例

「本人が求めない支援を行う」
例)気を利かせる、自己満足の支援

「言われるがままの支援」
例)できることを支援、計画にない支援

「制度上、認められない支援をする
例)大掃除、嗜好品の購入など

提供する側にルールや義務があるように、利用する側にもルールや義務があります。

たとえ本人が求めても、ADLや健康状態が悪化するような支援はできません。
また、本人が求めていない場合でも、ADLや健康状態の悪化が予測できる場合は専門家として支援者ニーズの提案が必要な場面はあります。

「公務員が勤務中に怠けている」「不正な生活保護受給」などのニュースを聞くと、多くの人が強く批判します。理由は、自分が納めている税金が無駄になるからでしょう。

しかし、自身の介護サービスでの無駄遣いについて無自覚な支援者も多いのではないでしょうか。

怒りっぽいのは性格のせい?

ご利用者と支援者が「言い合いをする」「ご利用者を叱責する」というような事を多く見聞きします。

なぜそのような事をするのかについて、理由を尋ねると
「何回も同じことを言う」
「文句ばかり言う」
「言ったとおりに動いてくれない」
などの回答です。

これは”性格”ではなく、”職務の理解不足勉強不足)”が原因です。

自分が何の専門家なのかきちんと理解すべきですが、「ついついすぐイラッとしてしまう」というような方は、「アンガーマネジメント」の勉強をするのも効果的かもしれません。

介護には正解がないのか?

結論:「正解はある」と考えましょう。

「正解が無いから」という言葉を多用する人もいます。
単純に自身の知識や技術が乏しいため、質問に応じられないだけという事もあるようです。

「何が正解」と言い難いのは事実です。

しかし、始めから「正解は無い」という構えでは、思考停止となります。
「正解はある」と捉えて向き合い、考え続ける姿勢が必要であると思います。

様々な可能性や選択肢を検討し、「現時点で考え得る最良」を見出す。

当面はそれを正解と捉え、不都合や新たなニーズがあれば再度考えます。

これは”介護過程の実践”であり、介護従事者の職務です。

「正解が無い」ではなく、「正解が見えづらい」「正解と言いづらい」の方が適切なのかもしれません。

まとめ

「正解がない」と言われるのは介護分野に限ったことではありません。
医療や教育はもちろん、製造業・芸術・スポーツ・調理など、世の中には答えがない分野がたくさんあります。

講師業12年目ですが、講義内容は受講される方々の反応や質問によって毎回変化しています。
講義資料や内容は見直しを繰り返しており、”完成”していません。

講師としても、モニタリングや再アセスメントといった「介護過程」に似た流れを辿っています。

考え続けること、悩み続けることも職務であると理解して向き合うべきなのかもしれません。